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Vol.07 昔を覗くと面白い

2019.12.02
カンナこと、こんなこと。

私事だが、毎年「耳で読む文学」という舞台を東京でプロデュースし、それがもう12回目を迎えた。毎回、誰かの作品を取り上げ、私がレクチャーしたうえで出演者が朗読する。効果は音楽と照明。それだけである。取り上げた作品は藤沢周平や芥川龍之介、向田邦子、松本清張、グリム童話などなど。音楽演奏は、ハープ、琵琶、バンドネオン、笛、お囃子。いつも、さて今年はどんなものを取り上げようかと考えて、もう足かけ13年である。

今回は「日本の短い文学を探る」と題して、短歌や俳句、狂歌、川柳、詩などを取り上げ、日本の文学の歴史をひもときながら鑑賞した。

準備の中で色々と勉強をして思ったのは、言葉の中に見る21世紀の現代社会と古の人々の繋がりである。

ひと頃、短歌(五七五七七)を最初の「五七五」と「七七」を分け、別人が詠む「連歌(れんが)」というものが流行った。この時、五七五を「発句(ほっく)」と呼んだが、それが後年、俳句になった。五七五七七、一回で終わる短連歌。これが、五十連、百連続く長連歌。連歌は隆盛を誇ったが、その長連歌の最後の七七を「挙げ句」と言った。「挙げ句の果て」というのは、ここから出た言い回しだという。

言葉と同時に、現代人と古の人との中に、驚くほど、感性の類似性を見ることもあった。

昔、ある場所に批判の匿名文書を落とし、人々の目に触れさせたものを「落書(らくしょ)」と呼んだ。これが発端となって、短歌に風刺を効かせた狂歌が流行る。この「落書」本来は「らくしょ」と呼ぶが、「らくがき」の語源になったという。SNSの隆盛の源は昔から、日本人の中に素地として脈々と流れていたのであろう。今に始まったことではないのだ。狂歌にしても川柳にしても、匿名性を重んじ、風刺的に世相を斬ることは、日本人は昔から好きだったのだろう。

そしてもう一つ。自分も含めてなのだが、世の中って勝手だなあと思うこともあった。

皆さんがよく知っている狂歌に、「白河の清きに魚の住みかねて元の濁りの田沼恋しき」という歌がある。白河とは寛政の改革をした白河藩主、松平定信のこと。定信は潔癖すぎて庶民は住みにくい、もとの田沼意次の時代のほうが、汚い利権がらみであっても庶民も豊かだったから懐かしい、という歌だ。しかしその後、川柳で「水が出て元の田沼と成りにけり」と詠まれた。この「水」とは、金権政治で有名な水野忠成のことだが、狂歌の通り、松平の後は、田沼意次以上の金権政治の時代となったのである。

あの狂歌や川柳を並べて見ていると、私たちは、いつの世も無い物ねだりばかりやっていると痛感する。歴史を辿る面白さである。

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  • 神津カンナ

作家、フォーラム・エネルギーを考える代表。長年に渡る執筆活動の傍ら、国内外のエネルギー関連施設や現場を取材し、暮らしの中のエネルギーといった視点で講演活動などを行っている。著書に『水燃えて火〜山師と女優の電力革命〜』『冷蔵庫が壊れた日』ほか多数。

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