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121
スマホで生活音を聞く時代

2021.09.15
カンナこと、こんなこと。

新聞を読んでいたら、生活音を聞いて楽しむアプリが人気だと知り、思わずへぇ~と声を上げてしまった。

確かに昔から、虫や鳥の声、風鈴の音、せせらぎ、などを愛でることはよくあったし、環境音がはやったこともあった。
ベトナムでは鳥のさえずり音を楽しむ喫茶店があると聞いた。それから鉄道ファンの中の「音鉄」とか「録り鉄」と分類される人たちが、走行音や警笛、車内放送、発車メロディーなどを録音し楽しんでいるという話も聞いたっけ。人にとって、音は昔から愛すべきものだったのだろう。

しかしこの新型コロナ蔓延時代。音を愛でる形は、少し趣を変えたらしい。たとえばコロナ前はいつもカフェで勉強していた若者が、カフェのざわめき音を聞くと落ち着くので、スマホで探してそういう音を聞いているとか、母親が食事の支度をしている音を探してきて、それを聞きながら時間のメリハリをつけているとか、ネットにはさまざまな「音」をメインにした人気動画やサウンドがアップされているようだ。たき火の音、チャーハンを炒める音は分かるが、さまざまな動物が餌を食べる音とか、話し声とか、いやはや、皆いかに何でもない「生活音」を求めているのかがよくわかった。

楽器や風鈴などの音で殺人が起こったりするのだし、不快音の種類も人によって違うだろうから一概には言えないだろうが、私たちは音なしには生きていないのだとしみじみ思った。

真空でも光は伝わるが、音は空気の密度の差で振動が変わることによって伝わるので、空気がなければ「音」は存在しないと聞いた。とすると、良きにつけ悪しきにつけ、こんなに音に執着するのは、私たちがとりもなおさず「空気」のあるところに生きているからなのだろう。

ニューノーマルと言われるコロナで変わった「新しい日常」「新しい暮らし」。確かにオンラインでの会議や仕事のやり方は業種によってだんだんに置き変わったものの、オンラインでの「飲み会」や「食事会」はイマイチなように、やはり対面でなければどうしようもないものはある。すべてを置き換えることはできないのだ。失ったざわめきなどの「生活音」を求めるのと同じように。

私たちは、失ったものが何だったか気づくのは必ず遅い。失ってはじめて気づくのだ。いらないと思ったけれど、不要不急だと思ったけれど、これは「死守」しなければいけないものだったのだと、たぶん後になって気づく。「生活音」のように後から何かしら作ることができるならまだ良い。それを若者のように享受できるならもちろん良い。でも残念ながら本当に必要な人は一度失ってしまうと取り戻せないのが現状だ。

両親の唯一の楽しみであるテレビ鑑賞も、スマホやタブレットを操作すれば、そこにはいくらでも欲しいものはあるだろうが、操作が苦手なら自分ではなかなかそこに行き着けない。

いま人に求められているのは、実は先進性や革新性だけではないのかもしれない。

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  • 神津カンナ

作家、フォーラム・エネルギーを考える代表。長年に渡る執筆活動の傍ら、国内外のエネルギー関連施設や現場を取材し、暮らしの中のエネルギーといった視点で講演活動などを行っている。著書に『水燃えて火〜山師と女優の電力革命〜』『冷蔵庫が壊れた日』ほか多数。

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