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中部地域の注目パーソンにインタビュー!

母の教えを糧に
のめりこんでいった和太鼓

和太鼓奏者・松阪市ブランド大使
hitomiさん
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October 21. 2026(Wed.)

生まれ育った三重県松阪市を拠点に活動するhitomiさんは、国内外に多くのファンを持つ新進気鋭の和太鼓奏者だ。hitomiさんが注目を集めるきっかけとなったのが、SNS。巧みな演奏技術を披露し、和太鼓文化の魅力を世界に発信している。
30歳を前に、一念発起し和太鼓奏者の道に進んだというhitomiさんに、これまでの歩みや、和太鼓の魅力を発信する担い手としての思いについて伺った。

第1回は、hitomiさんが和太鼓に出合ったきっかけから、プロの和太鼓奏者として歩み始めるまでを振り返ってもらった。

母から出された
「交換条件」がすべてのはじまり

―hitomiさんが和太鼓に触れたのはいつ頃のことなのですか?

母が仲間とともに「響座(ひびきざ)」を立ち上げた頃なので、私が2歳のとき。物心つく頃には身近に和太鼓がありました。

―お母さまはもともと、和太鼓奏者だったのですか?

母は20代の頃に和太鼓に出合ったと聞いています。母方の曾祖母は三味線を嗜み、大叔母は浪曲師として活動するなど、家族が座員として全国を巡っていたそうです。身近に芸事があったことから、母も自然と「将来は芸事の道に進みたい」と考えていたようです。けれど、家族の反対を受けて一般企業に就職。後に、地元和太鼓チームと出会ったことをきっかけに和太鼓の道に進み、「響座」を創立。2003年には、青少年育成の一環として「いなせ組」が結成され、私は一期生として入座することになりました。

―「いなせ組」に入座したのは、お母さまの影響で?

実は、自分の意思で入座したわけではなく、はじめは仕方なくでした(笑)。「いなせ組」結成以前、「響座」は地元の「松阪祇園まつり」で和太鼓演奏を披露していて、そのとき私は踊り手として参加していたんです。踊るのはとても楽しかったですし、私としてはずっと踊りでお祭りに出られるものだと思っていました。けれど「いなせ組」の結成が決まると、母から「チームに入っていないのにお祭りだけ参加するというのはダメ」と言われてしまって……。「いなせ組」に入ったのは、好きな踊りを続けるためだったんです。

「はじめは『和太鼓が好き』だとは
あまり思っていませんでした」と
振り返るhitomiさん。

仲間の存在と母の教えが
和太鼓奏者としての成長の糧に

―仕方なく始めた和太鼓にのめり込むようになったのは、何かきっかけがあったのですか?

小学3年生のとき、初めて女の子の同級生が「いなせ組」に加入したことですね。女の子同士で一緒に切磋琢磨できるのがとても楽しくて、同時に「ポジションを取られたくない」と対抗心も芽生えてきました。同級生とはいえ、在籍歴で言えば私は2年先輩。負けてられないぞ、と思いましたね。そんな気持ちの変化から、いつしか週1回の練習にも真剣に向き合うようになっていました。

―同世代の仲間の存在が刺激になったのですね。もともと負けん気が強いタイプだったのですか?

周囲から話を聞くと、間違いがあれば上級生にも臆せず、意見をぶつけるような子どもだったそうです(笑)。一方で、母や周りの方に褒めてもらえることがうれしくて、日頃から周囲を見ながら行動する子どもでもありました。でも、そのような敏感さがあったからこそ、「人前に立つのだから、できないことを練習してできるようにするのは当たり前」だと考えられる子どもだったと思います。母の誘いがきっかけでしたが、練習がイヤになることはありませんでした。

―和太鼓の先生でもあるお母さまからはどんな指導を受けていたのですか?

母からは「あなたは周りから見れば『先生の娘』。人一倍太鼓ができて当たり前と思われている。だからこそ、人の2倍努力しなさい」と言われ続けてきました。やっぱり何はともあれ練習が大事だと思えましたし、練習を重ねるほど技術が上がっていくのも楽しかったです。それに、上達するごとに母から褒められるのが本当に嬉しくて。いつしか太鼓を演奏することが日常になっていました。

和太鼓を始めた頃。弟の康太郎さんと。
厳しく、いつも冷静に見守る母の存在は、hitomiさんにとって今も昔も大きいという。

人生の岐路に立ったとき
和太鼓の存在が背中を押してくれた

―プロの和太鼓奏者になると決めたきっかけは何だったのですか?

大学では保育士を目指して資格を取得したのですが、いきなり専門分野で働くのではなく、一度は会社員を経験してみたいという気持ちが芽生えて、大学卒業後は一般企業に就職しました。ですが、しばらくしてコロナ禍になってしまって……。閉鎖的な毎日を過ごす中で、「このまま20代が終わるのはイヤ。30歳までに何かを成し遂げたい」という思いが日増しに強くなっていきました。
退職後、これからどうしていこうかを考えているときに、ふと頭に浮かんだのが和太鼓でした。20年以上和太鼓と向き合ってきて、自分なりに知識や経験を積み重ねてきたという自負がありました。何より、母をはじめ協力してくれる人が周りにたくさんいます。これまで築き上げてきたことを信じ、プロとしての一歩を踏み出してみようと考えました。

―プロの和太鼓奏者を目指すと聞いて、お母さまは、どんな反応でしたか?

母は応援してくれました。「若いんだから何でもやってみたらいい」といった感じでしたね。母自身も家族から反対された経験がありますから、もしかしたら心配していたかもしれません。本当の心のうちはわからないですが、母の応援のおかげで、私も覚悟を決めることができました。

2021年、和太鼓奏者として本格的にスタート。

プロフィール

和太鼓奏者・講師・松阪市ブランド大使
hitomi(ひとみ)
三重県松阪市出身・在住。和太鼓グループ「響座いなせ組」に1期生として加入。進学・就職を経て、2021年から和太鼓奏者として活動。太鼓教室講師も務め、老若男女に太鼓演奏の楽しさを伝える。TikTokに投稿した演奏動画が注目を集め、「TikTok LIVE ALL STARS 2022」音楽部門2位に選出。2023年には「松阪市ブランド大使」に就任、松阪市のPR活動にも精力的に取り組む。
https://www.tiktok.com/@hitomi_ins_
https://www.instagram.com/hitomi_ins_/
https://www.youtube.com/@hitomi530
HIBIKIZA taiko studio

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〒515-0052三重県松阪市山室町2335-1
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