むすぶひと、つなぐひと

中部地域の注目パーソンにインタビュー!

持ち前の職人魂で
裁縫の腕がメキメキ上達
G3sewing
工場長・斉藤勝さん
(2/4)

October 04. 2023(Wed.)

80代に突入してからミシンを始め、持ち前の職人魂を発揮して作り上げたがま口バッグが、大人気商品に――。そんな奇跡のストーリーが話題を集めている。物語の舞台は三重県四日市市の「G3sewing(じーさんソーイング)」。人気商品を手掛けるのは元電気工事士の斉藤勝さんだ。「新しいことを始めるのに遅すぎることはない」。自宅の一角で生み出される斉藤さんの作品が、全国のたくさんのファンを勇気づけている。
2回目となる今回は、技術者である斉藤さんの生い立ちや背景をお聞きした。

ー前回の記事はこちら
ミシンとの出会いで湧き出た生きる活力 G3sewing 工場長・斉藤勝さん(1/4)

夢を諦めて家業のラジオ店を継ぐ

斉藤勝さんは、1937年に7人兄弟の長男として三重県で生まれた。父は独学で技術を身に付けて放送局に入社し、技術部長を務めたエンジニアだ。
「当時は名古屋に住んでいましたが、空襲を受けて家が焼け、三重県に疎開しました。戦後、ラジオ店を開いた父は、秋葉原で仕入れたアメリカの中古部品を仕入れてテレビをつくり上げました。世紀の大発明だと新聞の取材を受けたこともあります。まさに日本一の技術者でしたね」(勝さん)

ただ、暮らしは裕福ではなかった。お金が入ってくると、お酒や人付き合いで散財する。その繰り返しだった。
勝さんは高校の電気科に入学。学校嫌いでサボりがちだったが、電気製図の腕は群を抜いていた。「卒業する時には、鉄道会社から設計職の内定をもらったんですよ」と勝さん。ところが、後継を願う父の反対を受けて断念することに。「あの時、入社して製図を描きたかったなぁ」と今でも後悔を口にする勝さん。その後は長男として、家業のラジオ店を継ぐこととなった。

「父は天皇陛下からも表彰されるほどの
技術者でした」と勝さん。

大事な取引先とケンカ別れして
仕事を失う

ラジオ店は繁盛した。だが、1959年に伊勢湾台風で店が全壊し、新しい店舗を構えることになった。1979年には、時代の流れを受けてラジオ店を廃業。電化製品の修理を専門に行う会社を立ち上げた。
「電気工事士の資格を生かして、大手スーパーからの依頼を受け、家電の修理、配達、取り付けなどの作業を一手に引き受けていました」(勝さん)

手先が器用で、職人としての腕はピカイチ。仕事はすこぶる順調だった。ただ、曲がったことが嫌いで頑固な性分。ある時、取引先の方向転換に納得がいかず、ケンカ別れすることに。そして、翌日から仕事がなくなった。

それでも、下ではなく前を向くのが勝さん。
「無職の間に、図書館の本で読んだ技術を使ってイオン発生器を開発し、全国から注目を集めました。ところが、大手企業がすぐさま追随してきました。その後はバブル崩壊も重なり、事業が継続できなくなりました」(勝さん)
スナックなどの飲食店経営にも手を出したが、しばらくして畳んだ。「本当に暮らしは厳しかった」と振り返る娘の畑中千里さんだが、それでも家族は仲良しで、手を取り合って乗り越えてきた。

家業のラジオ店で働いていたころの勝さん。

分解して仕組みを理解し、
独学で裁縫を覚える

持ち前のバイタリティを発揮して多方面で活躍してきた勝さん。プライベートでは、詩吟の講師を務め、多くの生徒を抱えていたという。

ただ、68歳からは相次ぎ大病を患った。
「大腸憩室症で大腸の半分を摘出して、大動脈解離で生死をさまよったこともあります。その後も、痛風、糖尿病、鬱病に苦しめられました」(勝さん)
体も精神的にもどん底だった勝さんを救ったのが、ミシンとの出会いだった。

電気工事士として培ってきた職人の魂に火がつき、100円ショップで買ってきたポーチや財布を分解して仕組みを理解。自分でアレンジして設計図を作り、独学で裁縫を覚え、日に日に上達していった。

「父からは、技術は教えられるものではなく、見て盗むものだと学びましたから」(勝さん)

ミシンを始めたころの勝さん。どんどん腕を
上げていった。写真は2020年6月下旬頃。

作品を販売し始めるも
なかなか売れない日々

千里さんは、最初は喜んで生地を提供していたものの、支出だけが増える状況だった。そこで、聖書カバーを販売しようと考えた。ただ、素人の作るものが、簡単に売れるはずがない。そうこうしているうちに、勝さんは家の中にある使っていない生地をリメイクするようになった。カーテン、座布団カバー、そして妻・陽子さんが乗る自転車カバーも“犠牲”になった。

材料に困っている時、勝さんの友人から使わなくなったネクタイが届いた。素材はほとんどがシルク。細長い生地を数枚組み合わせて縫い、ポーチを完成させた。夫・祐二さんの弁当入れに使って欲しいと渡された千里さんは、裏地を見て驚いた。
「水分をはじくナイロン製にしてありましたが、その生地に使われていたのが、母の自転車カバーだったんです」(千里さん)

「頑張っているけど商品が売れないから、生地代が捻出できない」。困った末に千里さんが相談したのは、留学先のアメリカから1年ぶりに帰ってきていた息子・元希さんだった。「Twitter(現X)を使ってみたら?」。この思いがけない一言が、その後の大逆転へと繋がったのである。

ネクタイを縫い合わせてできた思い出のお弁当入れ。

プロフィール

G3sewing 工場長
斉藤 勝(さいとう まさる)
1937年生まれ。三重県四日市市在住。これまでに、電気工事士、ラジオ・テレビの受信機修理技術者、詩吟講師、調理師を経験。2019年秋、娘の畑中千里さんがミシンの修理を依頼したのをきっかけに、82歳でミシン洋裁を開始。聖書カバーを皮切りに、コースター、ポーチ、財布などを次々と製作。2020年夏、千里さんの長男・元希さんがTwitter(現X)のアカウントを作成して発信すると瞬く間に反響を呼び、看板商品のがま口バッグは発売すると即完売するほどの人気商品となっている。
G3sewing
三重県四日市市の一軒家で、がま口バッグ、トートバッグなどを製造・販売するソーイングチーム。斉藤勝さんの活躍が注目を集め、世界中から注文が殺到。「人生で、今が一番幸せ」と語るその姿が、元気に自分のやりたいことを叶える高齢者のモデルケースとして多くの人の共感を呼んでいる。2022年には、老後に生きがいを見つけて元気に過ごすヒントが詰まったエッセイ『あちこちガタが来てるけど 心は元気! 80代で見つけた 生きる幸せ』(KADOKAWA)が発行され話題に。

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三重県四日市市
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