「遠州綿紬」の歴史と特徴
有限会社ぬくもり工房
(静岡県浜松市)
January 16. 2024(Tue.)
未来へ繋がる取り組みをおこなっている企業や団体をラジオDJのクリス・グレンさんが訪ねるコーナー。今回は、静岡県浜松市で受け継がれてきた「遠州綿紬(えんしゅうめんつむぎ)」を次代へ残そうと取り組む「ぬくもり工房」を訪ねました。
江戸時代から続く「遠州綿紬」とはどのような織物なのか、代表の大高旭さんにお聞きしました。
ー前回の記事はこちら
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織物のまちの象徴 遠州綿紬を後世に 有限会社ぬくもり工房(静岡県浜松市)
自動織機の誕生で
全国へ普及
「遠州の綿の歴史について教えてください」(クリスさん)
「きっかけは江戸時代です。群馬の館林のお殿さまがこの地に赴任されて、温暖で水・木が豊かな土地柄から、綿の栽培を推進したことだとされています」(大高さん)
そうして、綿が採れ、糸が紡がれ、機織りが広がっていきました。
遠州では、野良着として使われることが主で、農家が副業として取り組むことが多かったそうです。
大きなターニングポイントとなったのは、1896年。湖西市生まれの豊田佐吉氏が発明した動力織機の誕生です。またほぼ同時期の1900年代初頭には、浜松市生まれの鈴木道雄氏も動力織機を発明。遠州の地で、織物の機械化が起こり、量産が可能となりました。
さらに、東京・大阪のほぼ中間地点という地の利もあり、遠州で織られた綿が全国に普及していきました。
「この織機開発の技術が、その後の自動車や楽器の製造につながると考えると感動的です」(大高さん)
「遠州綿紬」の
特徴とは
「遠州綿紬は、まずこの縞柄が特徴的です。どこか控えめで、生活の中に馴染む色合いやパターンがこの織物らしいポイントだと思っています」(大高さん)
「色や模様は、どれくらいの種類があるのですか?」(クリスさん)
「ぬくもり工房で扱う縞柄には、名前をつけて残す取り組みをおこなってきました。その数は300~400種類。大幸の時代から数えると名前がついていないものも含めて1,000種類以上の縞柄見本があり、長い歴史の中で紡がれてきた柄の種類は膨大で、数え切れないほどです」(大高さん)
「遠州綿紬」の反物は、地元の機屋で50~60年前の織機を使って織られています。
「古い織機は、ゆっくりと織られていくのが特徴です。1台の織機で織ることができるのは、1日に約30メートル。ゆっくりと織ることで、圧力がかかりにくく、手織りに近いふわっとした優しい風合いになります。衣類にした際には、肌にすっと馴染んでくれます。一方、最新の機械は、エアーで横糸を飛ばして高速で織っていくので、頑丈で安価なものにはなりますが、同じような風合いを出すことは難しいでしょう」(大高さん)
伊勢神宮と結びつきが深い
遠州の織物
一方、ここ遠州が繊維と結びつきが深い謂れがほかにもあります。
浜松市浜名区三ヶ日町は、養蚕が盛んな場所でした。この土地には、織姫を祀る初生衣(うぶぎぬ)神社があり、ここでは1155年から神に捧げる絹を織り、伊勢の皇大神宮に毎年「御衣(おんぞ)」を奉納しています。これが、遠州の織物の最初の起こりだと言われています。そうして絹から綿に変わり、遠州が織物の一大産地として発展します。
「この奉納の際、私も関係者として伊勢神宮へ赴きます。約870年続く絹織物の歴史。自分はもちろん、海外の方はとても感動されます」(大高さん)
ぬくもり工房のロゴマークは、「初生衣神社」の鳥居をモチーフに、和の伝統色を使用しています。
「まさに日本の歴史文化の素晴らしさを感じることができる、とても魅力的なストーリーですね」(クリスさん)
次回は、現代の遠州織物の製造について、またぬくもり工房が発信する商品について伺います。
- 有限会社ぬくもり工房
- 2006年4月創業。浜松市で江戸時代から伝わる遠州織物を「遠州綿紬(えんしゅうめんつむぎ)」としてプロデュース。商品の開発・販売を通じ、地元の織物産業を残し、広げるべく事業をおこなっている。浜松市にある直営店のほか、ホテルやサービスエリアなどでも販売。また地域の小学校の家庭科の授業に生地を提供するなど、遠州織物の普及にも務めている。
静岡県浜松市浜名区染地台3-12-25
053-545-6491 - https://nukumorikoubou.com/