むすぶひと、つなぐひと

中部地域の注目パーソンにインタビュー!

気鋭のフリーランス和菓子職人の
幼少時代とは
和菓子職人
三納寛之(さんのうひろゆき)さん
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April 08. 2024(Mon.)

岐阜県在住のフリーランス和菓子職人がつくる和菓子が、インスタグラムで話題になっている。
実店舗を持たず、WEBで販売する上生菓子はあっという間に完売となってしまうことから、ファンからは“幻の和菓子”と呼ばれている。
“映える”和菓子で多くの人を魅了しているのは、和菓子職人の三納寛之(さんのうひろゆき)さん。

第1回目の今回は、三納さんの幼少時代を振り返ってもらった。

図画工作が得意な少年は
和菓子がいつも身近に

三納寛之さんは、愛知県瀬戸市にある和菓子屋の長男に生まれた。祖父がはじめた和菓子屋を父が2代目として継ぎ、自宅と店が一緒になっていたため、子どもの頃から当たり前のように和菓子に囲まれた毎日を過ごした。
「曽祖父も和菓子職人だったと聞いていますので、手先を動かして仕事をするという意味ではDNAを4代に渡って引き継いでいるのだと思います」
5月の節句が近づいてくると柏餅の葉っぱを拭くなど、簡単な仕事は子どもの頃から自然と手伝うようになったのだとか。
「学校の授業では、図工が得意でしたね。手を動かすことが好きだった。どちらかというと積極的な子どもではなく、おとなしい性格だったように思います」
と父の和菓子屋を手伝っていた子ども時代のことを懐かしそうに語ってくれた。

幼少期の三納さん。店先での父とのツーショット。

「和菓子屋さんになる」
が模範解答だった

和菓子職人になることを意識しはじめたのはいつ頃かとの問いに、三納さんはすこし考えてから「いつだったかはっきり覚えていないのですが、少なくとも小学校低学年で周囲の人には、和菓子職人になる、と言っていました」と答えてくれた。
父親は毎日和菓子づくりで忙しく過ごしていたが、時に感情をむき出しにすることもあったそう。「特に中日ドラゴンズが試合に負けると、父の機嫌が悪くなったんですよね」と笑いながら思い出話をしてくれた。しつけにも厳しかった父親の顔色を常に伺うようなところがあったと振り返る。
たまに遊びにやってくる父親の知り合いや親戚の人は、和菓子屋の手伝いをしている三納さんに「大人になったら何になるんや?」と決まって質問をしてきたのだそうだ。どう答えれば、大人たちが喜んでくれるかを熟知していた少年の三納さんは「僕はお父さんの跡を継いで、和菓子職人になる」と答えていた。しかし実際に、将来和菓子職人になるとは、その時は想像していなかった。

和菓子の工房で仕事をする時は、
自らオーダーした仕事着に身を包む。

和菓子屋こそが
三納さんの原風景

よく知られていることではあるが、和菓子屋の朝は早い。三納さんも、早朝からあんを炊いたり店を開ける準備をしたりと、忙しく働く父親の姿を見て育ったという。
「和菓子屋というのは大変そうだなぁとは思っていました。お菓子がよく売れた日は、あんが足りなくなって、夕飯を食べた後に仕込んでいることもありましたから。父親からは、特にこうしろああしろといった教育をされた記憶はないですが、とにかく毎日よく働く姿は見せてもらっていました」
三納さんの記憶の中には、和菓子屋を切り盛りする父親の姿が今でも原風景としてはっきりと残っている。

子ども時代の三納さんと祖母の写真。
紅白幕がかかっているので、
入学式シーズンの頃のもの。

プロフィール

和菓子職人
三納寛之(さんのうひろゆき)
「和の菓 さんのう」主宰の和菓子職人。愛知県瀬戸市生まれ。和菓子屋での修行時代に数々のコンテスト受賞を経験し、2019年よりフリーランスの和菓子職人として活躍。WEBでの販売以外には、名古屋と岐阜で月に数度の直接販売をおこなっている。そのほか、メディアへの出演や、さまざまなコラボレーション企画など、幅広い活動を展開。現在は岐阜県瑞穂市の和菓子工房にて制作を続けている。インスタグラムで多数のフォロワーを持つ。
https://www.instagram.com/wagashi_sanchan/
和の菓 さんのう
三納寛之さんが経営する和菓子販売のWEBサイト。伝統の技術と現代にマッチする感性で、創作和菓子をつくり出している。販売されると同時に抽選になることがあるほど人気が高い。月に数回程度は、イベントやポップアップストアなどで直接販売することがあるので、インスタグラムやWEBは要チェック。
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