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中部地域の注目パーソンにインタビュー!

型屋に生まれて、型から飛び出す
株式会社エム・エム・ヨシハシ
代表取締役 吉橋賢一
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August 05. 2024(Mon.)

日本六古窯のひとつに数えられる愛知県瀬戸市。陶磁器産業が盛んな地には、大量生産になくてはならない“型屋”や“原型士”と呼ばれる職種が存在する。株式会社エム・エム・ヨシハシもそのひとつ。現在は型づくりにとどまらず、オリジナルブランドの展開や陶磁器の総合的なプロデュースをおこない注目されているのが代表の吉橋賢一さんだ。

第1回目は、生まれ育った型屋の家業について、そして幼少期から青年期までの吉橋さんについて伺った。

瀬戸市の型屋の
長男として生まれ育つ

陶器のつくり方には、たたらづくりと呼ばれるものから、ろくろを回して成形するものなど、さまざまある。しかし、同規格のものを何百、何千と大量生産する場合は、モデルとなる型をつくり、そこに材料の土を流し込み、焼き上げていく方法がとられる。各地の大きな陶磁器の産地には必ず存在する仕事ではあるが、一般消費者の目に触れることはあまりない。

吉橋賢一さんは、愛知県瀬戸市で型製作を営む家の長男として生まれた。瀬戸市がやきもののまちということもあり、幼少期から当たり前のように器づくりが身近にあった。小学校の同級生の約半分は陶磁器産業に携わる家の子どもだったという。1975年生まれの吉橋さんが小学生だった頃、時代はバブルに向かってひた走っていた。瀬戸市の陶磁器産業も、多くが国内外に展開されるなど、活況を帯びていた。祖父が創業し、父が継いだ型屋事業も多忙を極めたはずだ。しかしながら、子どもだった吉橋さんは家業についてきちんと理解していなかったという。

「やきもの関係の仕事をしていることはわかっていましたが、型だとは知らなかったですね。父はいつも石膏で真っ白な格好をしていましたから、子どもながらに、そんな格好するのは嫌だなぁと思っていたのです」
いずれ自分も石膏の白に染まった格好をするとはその頃は思いもしなかったのである。

エム・エム・ヨシハシ代表の吉橋賢一さん。
幼少期の吉橋さん(一番右)。

瀬戸のやきものを支えた
セトノベルティと自動車産業

千年以上の歴史を誇る瀬戸のやきものだが、大きく発展した理由として、明治以降に陶磁器を用いたノベルティや工業製品に手を広げていったことが挙げられる。
「セトノベルティ」とは、陶磁器製の人形や置物のこと。繊細で精巧な造形と美しい絵付けが世界的に高く評価され、瀬戸から海外へと数多くのセトノベルティが輸出されていった。
プラザ合意による円高で輸出が厳しくなり、セトノベルティの輸出はその後少なくなっていく。そんな中、吉橋さんの父は自動車部品の製造のための型を石膏でつくるといった、型屋ならではの仕事を開拓していった。

吉橋さんの会社では、器を中心としながらも、祖父の時代にはセトノベルティで、父が継いでからは自動車部品の型をつくる仕事で、安定的な経営の柱を得ていたという。吉橋さんは子どもの頃、直接親から家業を継ぐように言われたことはなかったそう。

「書道教室や絵画教室に通わされていたので、今から思えば知らないうちに興味が湧くような仕掛けはされていたのかもしれませんね。字を書いたり絵を描いたりする素養は、陶芸の世界で必要になる場合が多いですから」

石膏まみれで真っ白になった父が朝から晩まで働いているのを見ていたので、友人の父親がスーツを着て会社に行く姿にどことなく憧れていた。そんな思いもあってか、家業にはまったく興味を示さず、高校生になると家を出ることしか考えていなかったという。
そうして鳥取県の大学に進学。家業とは無関係の工学部機械科を選んだ。

工房には、何十年も前から使われている機械や
道具が所狭しと並んでいる。

興味があったアパレルの
仕事に就くも
家業との共通点に気づく

大学進学で、鳥取県へ行くことになった吉橋さん。
「実は、この鳥取行きは実家を出るためだけの口実で、当初から東京でデザインの勉強をしたいと考えていました」

大学1年時はほぼアルバイト漬けの毎日を過ごして貯金し、1年後に大学を退学して上京。親には内緒で、東京の服飾系の専門学校に入学した。
ここでやっと自分がやりたいことにのめりこんだ。
型屋の長男に生まれながら、周囲から期待されていた“型”から飛び出し、強い意志のもと、多少の無茶をしながらも、自らの道を切り拓いていったのである。

専門学校を卒業後は、パタンナーとして服づくりに携わった。
パタンナーとは、デザイナーが作成したデザインをもとに、服づくりの設計図ともいえる型紙(パターン)を制作する仕事である。平面のデザイン画を正確に把握し、それを立体の服にするには、人体の構造や動き、布の素材と特性、ボタンやリボンといった付属品などすべてに関する知識が必要である。

「これは家業である型屋の仕事ととてもよく似ているのかもしれない」

パタンナーの仕事を追求するほどに、吉橋さんは、型屋である父と同じ仕事をしていることに気づく。働き始めて3年目のことだった。

アパレルを勉強していた頃の吉橋さん(左)。

プロフィール

株式会社エム・エム・ヨシハシ 代表取締役/陶磁器プロデユーサー
吉橋賢一(よしはしけんいち)
愛知県瀬戸市生まれの瀬戸市育ち。陶磁器生産のための型屋の息子に生まれ、後継ぎとなる。立体のものをクリエイトするという意味で、デザインと陶磁器をつなぐアイデアに目覚めてからは、家業としていた型屋の枠を大きく超えて、陶磁器をプロデュースする事業展開に挑戦。やきもののまち・瀬戸の新たな魅力づくりを含めた、陶磁器構想を抱いている。
株式会社エム・エム・ヨシハシ
戦後の復興期に陶磁器の製型に携わっていた吉橋喜呂久氏が、1959年に合資会社吉橋製型所として独立。ノベルティを中心にした型製作事業を確立させる。1965年には喜呂久氏の息子である宏一氏が代表に就任。1986年に株式会社エム・エム・ヨシハシと改め、工業用石膏型の製造を開始する。
3代目となる吉橋賢一氏が後継となってからは、自社ブランドの開発・販売を成功させ、オンラインショップ「Yummy Life Design Store」を開設するなど活動を広げている。

MAP

〒480-1207愛知県瀬戸市品野町4-22
電話番号:0561-41-0471
※商品をご覧になりたい場合は、事前にご連絡いただくか、オンラインショップ(https://store-andc.com/)をご利用ください。
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