
中部地域の注目パーソンにインタビュー!
兄弟からバディへ
二人の長所を活かす「ものづくり」
株式会社 上村考版
代表取締役 上村佑太
専務取締役 上村大輔 (2/3)
April 14. 2025(Mon.)
夏の夜の約30夜、人々が踊りつづける、日本一ロングランの盆踊りとして有名な岐阜県郡上市の「郡上おどり」。その踊りを彩る新たな衣料ブランド「ODORIGI(オドリギ)」が話題だ。そのプロジェクトの中核メンバーが、郡上の地場産業であるシルクスクリーン印刷工房・上村考版(こうはん)の代表・上村佑太(ゆうた)さんと、兄でデザイナーの大輔(だいすけ)さん兄弟。郡上の歴史や文化を継承した革新的なプロダクトで多くの人を魅了している二人が目指す未来とは。
第2回の今回は、郡上の魅力とシルクスクリーン産業を担ってきた上村考版について話を聞いた。
ー前回の記事はこちら
踊り着×シルクスクリーン印刷で郡上(ぐじょう)のまちを盛り上げる 株式会社 上村考版 代表取締役 上村佑太 専務取締役 上村大輔 (1/3)

郡上で過ごした幼少期から
正反対だった2人の性格
――ODORIGIが誕生する背景には、郡上に息づく歴史と文化があると思います。そもそもお二人は、この地でどのような幼少期を過ごされたのですか。
大輔さん 高校を卒業するまでは郡上にいましたが、ずっと都会に憧れていましたね。小学生の頃から図工が大好きで、先生から卒業文集の絵を頼まれるような子どもでした。大学のデザイン科に進学してからは、ひたすらMacで夜通しデザインをするような学生生活を送り、アパレルのベンチャー企業に就職。ずっとTシャツの柄をデザインし続ける毎日でした。
――子どもの頃からデザインやものづくりに興味があったわけですね。
大輔さん 父が経営する工場をずっと見てきましたからね。ただ、弟の佑太は、僕とはまったく正反対の性格の持ち主。「これは1枚つくったらいくら儲かるんや?」と聞いてくるような子どもでした(笑)。
佑太さん そうなんですよ。僕は兄と違って図工の成績がずっと「1」。小学生の頃の趣味は「テレフォンショッピング」を見ることでした。どんな商品がいくらで売れているのかを見るのが楽しかったんですよね。アートの世界よりも、数字でロジカルに物事を考えるのが大好きだったので、大学では理系の学部に進学し、その後、製薬メーカーに就職しました。

郡上八幡ICの近くに工場を構えていた。
外に出たからこそ見えた
郡上のまちが持つ魅力
――今でこそ郡上の歴史や文化に魅力を感じているお二人ですが、高校卒業後は揃ってこの地を離れて全く違う道に進まれたわけですよね。どうして家業に戻ろうと思われたのですか。
大輔さん アパレル会社でデザイナーとして働いた後、20代後半で海外各地を放浪する旅に出たんですよね。そして日本に帰ってくると、自分の故郷である郡上がとても魅力的に見えたんです。「郡上ってヤバい!」と。町の景色。人の濃さ。自分が知らなかった郡上の歴史や文化に触れ、この地で何かをやるのが一番面白いんじゃないかと感じました。そこで、父が経営する有限会社ケイズ(現・株式会社上村考版)に戻り、シルクスクリーンを一から勉強しようと思ったんです。
佑太さん 僕が家業に戻ってきたのは、兄の大輔が郡上に戻ってきてから5年後のことです。大輔が戻ってきたのはちょうどリーマンショックの時期で、僕が一緒に戻ってくるような余裕はありませんでした。それでも「いつかは継ぐだろう」という、ぼんやりとした感覚はあったんですよね。大輔はどちらといえばデザイン業務をメインで担当していて、「現場を任せられる人が欲しい」ということで僕も戻ることになりました。
大輔さん 以前はほとんどが受注生産でしたが、僕は企画やデザインをやってきていましたから、お客さまと一緒につくる機能を付けたいなと。それでデザイン部門を立ち上げました。そのうちデザインの仕事がものすごく忙しくなったので、現場を佑太が取り仕切ってくれるならありがたいなと。
佑太さん 戻ってきてからの最初の5年間は現場でひたすらプリントをしていました。そこで活きたのが、前職の製薬メーカーでのノウハウでした。お客さまからの注文を手書きではなくパソコンで管理したり、インクを配合する時の量をきちんと計測してデータ化したりと、昔ながらの仕事のやり方を少しずつ改善していきました。

互いの長所を活かして
デザインと製造を分担
――デザインや企画は大輔さんが担当し、現場の改善は佑太さんが進めていく。とてもいいコンビのように見えます。
佑太さん そうかもしれませんね。大輔は、人と関わることが大好きで、ものすごく“陽”のキャラクターです。僕はどちらかといえばその反対で、大学生までは趣味のゲームに没頭しているようなタイプでした。仕事をするようになってからも、ゲームをクリアしていくような感覚で製造部門の改善に取り組んでいるんですよね。
大輔さん 僕はそういうのが苦手なんです。当初は、長男の僕が代表を継がなければいけないと思っていました。学生時代には生徒会の活動にも熱心に取り組むなど、みんなの意見をまとめるのが得意だったので。けれど経営に関することをやればやるほど、徐々に自由度がなくなっていきました。そんな時に「お兄は好きなことをやれよ」と佑太が言ってくれて。
佑太さん なんだかジャラジャラと重りを付けているように見えたんですよね。すごい生きづらそうにしていましたから。会社の立て直しのために、性に合わないような案件を引き受けて、寝ずに朝まで頑張っている。それはそれでやりがいもあったけれど、大輔がもっと自由に活動できる方が、お互いにイキイキと仕事ができると思ったんです。

兄・大輔さんは市街にデザイン事務所を構えて
上村考版以外にも、さまざまな活動をおこなっている
2022年に社名を変更
よりよいものづくりを追求
――佑太さんが代表として経営を引き継いだ方が、互いの長所をうまくいかせるんじゃないかと。そこで現在のような役割分担が生まれたわけですね。
大輔さん そうですね。その頃は僕一人でデザイン業務をおこなっていたのですが、徐々に「勉強させてほしい」という若手が入ってきました。そうして少しずつデザイン部門が組織化されるようになり、先を見据えた取り組みができるようになっていきました。
――2022年1月には、有限会社ケイズから「株式会社上村考版」へと社名を変更されました。どんな思いを込めたのですか。
佑太さん 根幹にあるのは「仕事をしていく以上は、何かを良くしていきたい」という思いですね。そこで打ち出したコンセプトが「世の中を一歩良くするものづくり」です。
――「考版」の名前は、シルクスクリーン印刷に由来しているんですよね。
佑太さん そうです。シルクスクリーン印刷は「孔版印刷」とも言います。そこで「一緒に考える」という意味を込めて「考」という漢字をあてました。いろいろなアイデアを混ぜ込みながら、本当にいいものづくりを目指していこうと。
大輔さん 僕は以前から岐阜県の伝統産業をリプロダクトして海外に発信する取り組みを続けています。「国際家具見本市ミラノサローネ」にシルクスクリーン印刷作品で出展していますが、こうしたチャレンジがとにかく楽しい。郡上に軸足を置きながら、自分たちができることを追求していく。こうした姿勢はODORIGIの活動にも通じる部分だと思っています。



挟まれたゴムヘラのような道具を使って丁寧に
インクを重ねていく。
プロフィール
- 株式会社上村考版
- 上村佑太(かみむらゆうた)・上村大輔(だいすけ)
- 上村佑太さん/株式会社上村考版 代表取締役。高校卒業後、石川県の大学で化学を専攻。製薬メーカーの製造部門で勤務した後、家業である「上村考版」に戻り、主に工場の製造部門を担う。2022年1月の社名変更のタイミングで代表取締役社長に就任。郡上のスクリーン印刷工房の若手経営者らで結成された任意団体GRANDでは、初代の代表を務め、ODORIGIの制作ディレクションを担当した。 上村大輔さん/株式会社上村考版 専務取締役。大学のデザイン科で学んだ後、アパレルのベンチャー企業に就職。その後、世界各地を放浪したのち、拠点を地元・郡上に移す。郡上固有の伝統文化や歴史を現代の感性で再解釈しながら、デザイナーとして幅広い活動を展開。上村考版では専務取締役を務め、新商品や店舗などのブランディングから企画提案、アートディレクション、ロゴデザインなどを手掛けている。

- 株式会社上村考版
- 1974年、上村さん兄弟の父・均さんが「上村プロセス」として創業。1980年代後半には「旗のぼり」の全自動機械が登場したものの、融通が利きやすい手刷りにこだわり、機械ではできない高品質の1点モノを手掛け続けて今日に至る。2022年1月に現社名に変更後は、「世の中を一歩良くするものづくり」をコンセプトに掲げ、シルクスクリーン印刷発祥の地の文化を大切に守りながら、新たな領域を開拓し続けている。
Instagram
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