むすぶひと、つなぐひと

中部地域の注目パーソンにインタビュー!

「渋いビル」を愛でる
「名古屋渋ビル研究会」とは?

名古屋渋ビル研究会
寺嶋梨里・謡口志保 (1/3)

June 09. 2025(Mon.)

「渋ビル」という言葉を聞いたことはあるだろうか。
「渋いビル」を略した愛称で、築50年から70年ほど、高度経済成長期に建てられた、一見地味だが、よく見ると味わい深いビルのことである。

中部地域にも数多く現存しており、それら渋ビルを“愛でる”活動をしているのが「名古屋渋ビル研究会」。
寺嶋梨里(てらしまりさと)さん、謡口志保(うたぐちしほ)さんの2人のユニットで、ライフワークとしてゆるやかに活動しているという。
現在は、1年に1冊のペースでリトルプレスを発行している。

今回のインタビューと撮影は、名古屋市内の渋ビルのひとつであり、2人も愛してやまない「中産連ビル」でおこなった。

第1回目は、2人が渋ビルと出会い、名古屋渋ビル研究会を立ち上げることになった経緯についてお聞きした。


撮影協力:中産連ビル
https://chusanrenbldg.co.jp/

高度経済成長期に建てられた
味わい深いビル「渋ビル」

―まずは「渋ビル」の定義を教えていただけますか?

謡口さん 高度経済成長期の1950年代中盤から1970年代中盤にかけて建てられた味わい深いビルを指しています。日本が戦後復興を経て、右肩上がりの成長を続けた時代ですね。この時代には、日本のさまざまな場所でビルが建てられ、その多くは特に注目されずに、今でもまちに溶け込むように建っています。

寺嶋さん 首都圏はもちろん、地方都市でも、一世一代のプロジェクトとして、意匠を凝らしたビルを建てた人々がいました。

グラフィックデザイナーとして、
デザイン制作物を手掛けている寺嶋梨里さん。

好きだったものは「渋ビル」だった!
2人で研究会を立ち上げ

―あらためて、「名古屋渋ビル研究会」について教えてください。

寺嶋さん 高度経済成長期に建てられた渋いビルに注目し、愛でる活動をおこなっているのが「名古屋渋ビル研究会」です。研究会と名がついているので、何人くらいの団体ですか? とよく聞かれますが、メンバーは創設当時から今に至るまでずっと変わらず私たち2人だけです(笑)。大学時代の同級生で、2人とも好きなものが一緒だったこともあって自然と仲良くなりました。旅行に行ったり美術館を訪れたりするなど、時間をともにしました。

謡口さん グラフィックデザイナーを志していた寺嶋と建築士を目指していた私は、それぞれ学びの分野こそ違っていましたが、古い建物に対する興味は同じように強かったんですね。だから、どこかに出かけても話題は自然に時代を経たビルになることが多かったのです。

寺嶋さん 大阪の「BMC(ビルマニアカフェ)」というビルの愛好家のチームが発行している「月刊ビル」という冊子。それを手にして、私たちがずっと気になっていた建物が「渋ビル」と呼ばれていることや渋ビルが建てられていた時代についての記述を読んで、「そうだったのか!」と視界が晴れた思いがしました。

謡口さん 私たちの気になる渋ビルを、もっと見たい、知りたい、と思って研究会活動を始めたのが、2011年でした。

一級建築士として、住宅やリノベーションの
設計をおこなう謡口志保さん。

思わず惹かれる
渋ビルの特徴とは?

―それぞれの専門分野から見た渋ビルの好きなところ、特徴について教えてください。

謡口さん 建築設計に携わっている私は、現在では生産されていない貴重な建築材料が使われているところを発見したときにとてもワクワクします。例えば、この中産連ビルの外装に使われているタイルもそう。今だと均質につくる技術ができてしまっているので、どうしても画一的になってしまうのですが、当時の製法でつくられた表情豊かなタイルが張られています。色むらがあって、そのグラデーションがとても美しく、表面もまっ平ではないので、ゆらぎがあるんです。また、現代では考えられないほどゆったりと設計されたエントランスホールや共用部、機能だけを追求していないゆとりある空間づくりも特徴と言えます。

寺嶋さん グラフィックの視点で見ると、ビル全体のカタチはもちろん、ビル名の書体や看板のデザイン、窓の形状なども気になりますね。2人とも、建物の角、庇(ひさし)やサッシ、窓枠などが丸くなっている“角丸デザイン”が好きなんです。あとは、水平連続窓と呼ばれている水平方向に窓が連続しているデザインなどにも、心惹かれています(笑)。

謡口さん 名古屋市の地下鉄東別院駅の近くにある「ワダコーヒーの本社ビル」に出会った時は、2人で「キャー!」と歓声をあげてしまいました。茶色のタイル張りで角丸のサッシ、階段室の外装の蝶ネクタイのようなデザイン、上部に庇のようなものが浮いているデザインなど、私たちの活動の原点、はじまりの渋ビルだと言っていいと思います。2人で見つけて注目し、紹介して以来、ずっと愛で続けています。

水平連続窓がよくわかるビル。
写真提供:名古屋渋ビル研究会
ワダコーヒーの本社ビルは、1972年に
建てられた鉄筋コンクリート造の5階建て。
写真提供:名古屋渋ビル研究会

プロフィール

名古屋渋ビル研究会
寺嶋梨里(てらしま りさと)/謡口志保(うたぐち しほ)
寺嶋梨里さん/リノベーションを手掛ける会社で、グラフィックデザインと広報を担当。ロゴマークや色の使い方、窓の形やラインなど、デザインの視点で渋ビルを見る。「名古屋渋ビル手帖」では撮影、デザインを担当。 謡口志保さん/ウタグチシホ建築アトリエ主宰 一級建築士。新築住宅やリノベーションを手掛ける建築家。過去の建築技術や職人の手技など、建築の専門知識で分析しながら、渋ビルを見る。「名古屋渋ビル手帖」ではテキスト執筆、ビル料理を担当。
https://www.instagram.com/shimeji_dx
名古屋渋ビル研究会
2011年に結成した、名古屋の渋ビルを愛でる研究会。2人でまち歩きをしながら渋ビルを探し、眺め、調べ、愛で、撮影し、記録している。年に1冊のペースで、渋ビルの魅力について発信するリトルプレス「名古屋渋ビル手帖」の制作・発行をおこなっている。
上部へ戻る