
中部地域の注目パーソンにインタビュー!
2人のビル愛をカタチにした
「名古屋渋ビル手帖」
名古屋渋ビル研究会
寺嶋梨里・謡口志保 (2/3)
June 16. 2025(Mon.)
「渋ビル」という言葉を聞いたことはあるだろうか。
「渋いビル」を略した愛称で、築50年から70年ほど、高度経済成長期に建てられた、一見地味だが、よく見ると味わい深いビルのことである。
中部地域にも数多く現存しており、それら渋ビルを“愛でる”活動をしているのが「名古屋渋ビル研究会」。
寺嶋梨里(てらしまりさと)さん、謡口志保(うたぐちしほ)さんの2人のユニットで、ライフワークとしてゆるやかに活動しているという。
現在は、1年に1冊のペースでリトルプレスを発行している。
今回のインタビューと撮影は、名古屋市内の渋ビルのひとつであり、2人も愛してやまない「中産連ビル」でおこなった。
第2回目は、2人の手によって定期的に発行されているリトルプレス「名古屋渋ビル手帖」について、また手帖で特集号が発行されたことのある中産連ビルについてお話を伺った。
撮影協力:中産連ビル
https://chusanrenbldg.co.jp/
ー前回の記事はこちら
「渋いビル」を愛でる「名古屋渋ビル研究会」とは? 名古屋渋ビル研究会 寺嶋梨里・謡口志保 (1/3)

試しに刷った創刊準備号から
「名古屋渋ビル手帖」スタート
―今や「名古屋渋ビル手帖」は発行を心待ちにしている人も多いと思います。どのようにして出版に至ったのですか?
寺嶋さん 渋ビル手帖として冊子を発行する前は、集めた渋ビルの情報は、研究会としてのブログで記事を公開していました。そんな折に友人から、自作のZINEを持ち寄って交換する会をやろうと誘われたのです。それなら試しにということで、創刊準備号として限定50部のフリーペーパーをつくりました。
謡口さん 活動を始めて1年後の2012年のことでした。その創刊準備号が文字通りのきっかけとなって、ブログで書き綴るだけでなく、定期的にリトルプレスとしてアウトプットしていこう! と2人で意気投合しました。それから、ゆるゆると一年に一度のペースで発行しています。渋ビル手帖を発行するようになってからは、いろいろな方の気になるビルやビルにまつわる思い出をお聞きすることが増えました。
―どれくらいのペースで渋ビル歩きをしているのですか?
寺嶋さん 不定期に、渋ビルがありそうだと“匂う”エリアを目指して、街歩きをしたり、時には自転車で走り回ったりしています。
謡口さん 渋ビルそのものの情報と、建築当時の面影や時代背景も含めて、記録と記憶を「名古屋渋ビル手帖」に残していきたいなと思っています。


関係者へのインタビュー、営みの歴史など
特集内容によって切り口もさまざま。
好きなことを詰め込んで
“ビル料理”もつくって掲載
―「名古屋渋ビル手帖」を制作するようになって、ビルの見方や感じ方に変化はありましたか?
寺嶋さん この冊子を見る人は建築マニアとは限りません。むしろ建築の知識がなくても、「なんかいいね!」と手にとってもらいたいと考えて編集しています。私たちが好きで楽しいと感じることを記録に残しつつ、その思いをいろいろな人と共感することができたら!と。 だから私たちの好きなことを詰めこんでいます。
謡口さん 冊子を発行するようになってからの前後で、私たちの感じ方や考え方には変化はないですが、編集を意識しながらビルを見るようにはなったかな。特徴を伝えやすいビルだな、とか、このビルならどうやってテキストを書こうかな、と考えながらビルと接するようになったと思います。
―渋ビル愛にあふれるお料理ページも企画にありますね!
謡口さん はい(笑)! ビルをモチーフにした料理を紹介するコーナーですね。ビル弁、ビルクッキー、ビルチョス、ビルテリーヌなど、ビルに見立てた料理を頑張ってつくっています。おかげさまで読者の方からも好評です!

料理を担当しているのは謡口さん。
写真提供:名古屋渋ビル研究会
名古屋の渋ビルの代表といえば
坂倉準三氏が設計した中産連ビル
―名古屋の渋ビルの代表格といえば、今日の取材場所にもなっている中産連ビル(名古屋市東区)でしょうか。
謡口さん 中産連ビルは、1963年に中部財界の支援によって建築された建物で、社団法人中部産業連盟(当時)の研修施設であったことが名前の由来です。現在も、中部地域を代表する企業から役員の方々を迎えて、日々のきめ細やかな管理のもと、モダニズム建築が美しく保たれています。
寺嶋さん 名古屋渋ビル研究会にとっても、大切な存在です。2015年に発行した「名古屋渋ビル手帖」中産連ビル特集号の取材をきっかけにとても仲良くさせてもらっています。その後は、ビル内部を私たちがガイドしてまわるツアーをはじめ、様々なイベントなどで関わっています。
謡口さん 坂倉準三さんの設計は、現代の視点でみても本当に素晴らしく、さらにその美学を引き継いで丁寧にメンテナンスをされています。
―古いビルはメンテナンスが大変と聞きますが…
寺嶋さん そうなんです。今ではもうつくることができない材料が使われていますが、それをきれいに保つには、なによりメンテナンスが大切。中産連ビルは、残すことの大切さと日常的に使い続けることの利便性を両方追求して管理されているところが素晴らしいと思います。
*坂倉準三:岐阜県出身の建築家。ル・コルビュジエに師事し、モダニズム建築を実践。パリ万国博覧会(1937年)では、日本館の設計を手がけ、日本のなまこ壁を思わせるデザインとモダニズムの理念を統合し、世界でも高い評価を受けた。


取材の日、おふたりに案内していただいた。

大胆な曲線に切られた床、その奥に見える
階段の美しさは必見。

内からはこんな見え方をしている。

整えている様子に出会った。丁寧なメンテナンスが
ビルをイキイキとさせる。

この曲線美が手に馴染む。

窓枠に沿って配置されるタイルは、
窓枠の角度に合わせてつくられている。

特徴的な4階部分の庇(ひさし)。

壁に張られたタイルはいつも磨き上げられている。
これも日々の丁寧な掃除の賜物。
プロフィール
- 名古屋渋ビル研究会
- 寺嶋梨里(てらしま りさと)/謡口志保(うたぐち しほ)
- 寺嶋梨里さん/リノベーションを手掛ける会社で、グラフィックデザインと広報を担当。ロゴマークや色の使い方、窓の形やラインなど、デザインの視点で渋ビルを見る。「名古屋渋ビル手帖」では撮影、デザインを担当。 謡口志保さん/ウタグチシホ建築アトリエ主宰 一級建築士。新築住宅やリノベーションを手掛ける建築家。過去の建築技術や職人の手技など、建築の専門知識で分析しながら、渋ビルを見る。「名古屋渋ビル手帖」ではテキスト執筆、ビル料理を担当。
- https://www.instagram.com/shimeji_dx

- 名古屋渋ビル研究会
- 2011年に結成した、名古屋の渋ビルを愛でる研究会。2人でまち歩きをしながら渋ビルを探し、眺め、調べ、愛で、撮影し、記録している。年に1冊のペースで、渋ビルの魅力について発信するリトルプレス「名古屋渋ビル手帖」の制作・発行をおこなっている。