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中部地域の注目パーソンにインタビュー!

受け継いだ家業は
「キリマルラーメン」の製造!

小笠原製粉株式会社
代表取締役 小笠原充勇 (1/3)

August 06. 2025(Wed.)

動物のキリンのイラストのパッケージが目を引く、こだわりの国産素材を使った即席麺「キリマルラーメン」。西三河のご当地ラーメンとして親しまれる一方で、多くの地域や企業・施設、人気コンテンツなどとのコラボレーションも話題だ。
プロデュースしているのは、愛知県碧南(へきなん)市にある小笠原製粉株式会社。代表取締役の小笠原充勇(みつお)さんに、キリマルラーメンへの思いや、ご自身の目から見た会社とキリマルラーメンについて、お話を伺った。
第1回目は、小笠原さんの子ども時代の話から家業に入るまでについて語っていただいた。

跡取り息子としての重圧を
感じ続けた子ども時代

―小笠原さんは、どのような子ども時代を過ごされたのでしょうか?

曽祖父が製粉・精米業を始め、祖父が法人化し、父が発展させたのが小笠原製粉です。私は、その後の継者として期待されていました。周囲の大人たちは、私のことを跡取り息子として見るので、それが子どもながらに辛かったですね。「この会社を継ぐのだ」と、年に1,000回くらい言われていた気がします(笑)。
また、私はアレルギーや喘息を持っていたため体が弱く、幼稚園に入る前は年の半分ほど入院していたくらいでした。そういったことから、どこか劣等感を持って育ちました。

―家業については、どのように思っていたのですか?

今の「キリマルラーメン」の前身「キリンラーメン」が、1965年に発売を開始しています。1977年生まれの私が物心ついた頃には、すでに地元に出回っていて、キリンラーメンをつくっている会社の子どもだと意識はしていました。また、学校給食のソフト麺を納品していて、その箱に「小笠原製粉」と書かれており、普通ならそれらを誇らしく思うのでしょうが、立派な会社と、立派になれない自分が比較されているような気がして、苦しかったことを覚えています。

小笠原製粉の代表取締役・小笠原充勇さん。

優等生から
反骨精神の持ち主へと変化

―ご自身が置かれた環境と、なかなか折り合えないまま過ごしていたのですね。

そうですね。それでも中学生くらいまでは、周囲の期待に応えようとしていたんです。学校の成績はよかったですし、部活動ではキャプテンをしていました。ところが高校に入った頃から、これでいいのか? 今のままでいいのか? と考えるようになり、正統なもの、当たり前のことを否定することこそ、自分が生きる道だと思っていました。反骨精神がむき出しになった思春期真っ只中といった感じですね。そうして成績は下がり、家業から距離を置こうと思うようになります。家を出るために何としても県外に行こうと、京都の大学へ進学しました。その頃は音楽に傾倒していて、ギターと曲づくりに夢中になりました。絶対に実家には帰らない、と心に決めて学生生活を送っていたのです。

かつては遠ざけていた家業。
キリンのマークからも逃げたいと思っていた。

家族が好き、家業に惹かれていた
と気づいた日のこと

―地元と家業から離れて、自分の世界を模索していたと。大学を卒業した後は、どのような道に進まれるのでしょうか?

大学を卒業してからは、音楽をしながら、いわゆるフリーターをしていました。音楽だけでは食べていけないとはわかりつつも、バンド活動を続ける日々。アルバイトでは、いろいろな仕事をやりましたね。カステラ工場でお菓子づくりの補助、酒造メーカーで焼酎づくりの補助、宅配業者の仕分け作業など。根が真面目なので、音楽活動もアルバイトもきちんとやっていたんです。

―そんな中、実家に戻ることになったきっかけは何だったのでしょう?

実家を離れている間、祖父母からは数えきれないくらい「帰ってくるんだぞ」と言われ続けていましたが、父からは一切言われたことがありませんでした。ところが29歳になった頃、父から一度だけ「もうそろそろ帰ってきたらどうだ?」と。その言葉を重く感じ、いつまでもフリーターでいるわけにはいかないと、2007年に家業に入りました。
最初は気が進まないまま戻ったのですが、やっぱり家族のことが好きだし、地元を離れている間も家業のことをどこかで気にしていたことに気づきました。少し時間がかかりましたが、結局は碧南に帰る運命だったのだと思います。

バンド活動に励んでいた24歳の頃。
「実は知らないうちに自社の製品のことは
好きだったんですね」と小笠原さん。

プロフィール

小笠原製粉株式会社 代表取締役
小笠原充勇(おがさわら みつお)
1977年碧南市生まれ。家業は継がないと心に決めて、家を飛び出すようにして大学に進学。音楽の道に進むが、29歳になって家業に戻ることに。現在はキリマルラーメンの製造元である小笠原製粉株式会社の3代目を受け継ぐ。祖父や父がつくりあげた会社と商品を、地域の人々に見守られながらも自ら指揮をとってブランディングにも果敢に挑戦。地産地消をモットーに地域に貢献できる企業でありたいとの願いから、ひとつひとつの仕事に丁寧に向き合う。
小笠原製粉株式会社
製粉精米業の会社として、1907年に創業。1909年には三重県より手延べ麺職人を招き、兼業として製麺を開始。大正時代になると製粉部門を主力として現在の場所に新たな工場を建設・移転。1938年に精米業を廃止し、戦後は政府指定工場として小麦粉加工を拡充させる。現在は地元国産小麦による製品開発を進め、地域貢献企業を目指して事業展開している。

キリマルラーメン
https://kirimaru.jp/

キリマルラーメンInstagram
https://www.instagram.com/kirimaru_ramen//

MAP

〒447-0887愛知県碧南市汐田町3-33
電話番号:0566-41-0480
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