甲斐みのりわたしのまちのたからもの

中部地域のさまざまなまちを文筆家・甲斐みのりさんが訪ねます

プチ“偏愛ツアー”を体験
松阪市街エリア(三重県松阪市)

May 27. 2024(Mon.)

ー前回の記事はこちら
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馴染みのまちを再編集する!松阪市街エリア(三重県松阪市)
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松阪の魅力発信拠点 松阪市街エリア(三重県松阪市)

お伊勢参りの宿場町や、商人の町として発展した三重県松阪市。『古事記伝』の筆者で国学者・本居宣長の生誕地、三井家の発祥地、映画監督・小津安二郎が青春期を過ごしたことでも知られる土地です。
そこで地元の魅力を掘り起こしているのが、地域特化型の5人組クリエイティブチーム「vacant(バカント)」。
代表の中瀬皓太さんにご案内いただきながら、松阪のまちを歩いてみました。

見方を変えてまちを楽しむ
プチ偏愛ツアーを体験

松阪を拠点に活動するクリエイティブチーム・vacantが実施してきた「松阪偏愛ツアー」(記事1/4参照)。

今回私も特別に、vacantの中瀬さんと松阪のまちを歩き、プチ「松阪偏愛ツアー」を体験させてもらえることに。通常はvacantの拠点となる「MADOI」で、明治時代から松阪駅前で駅弁をつくる「駅弁のあら竹」を代表するすき焼き風弁当「モー太郎弁当」を昼食として味わってからまちに繰り出すのですが、駅弁はツアー後のお楽しみに。
まずは城下町、豪商の町、宿場町として栄えた歴史あるまち並みを、中瀬さんの案内で軽やかに進みます。

駅前から広がる商店街も魅力。

道を歩いていて最初に目が留まったのは、伊勢街道と和歌山街道の分岐点を示す道標。大きな石に「右 わかやま道・左 さんぐう道」と刻まれています。右の道を進むと熊野古道がある和歌山へ、左の道を進むと伊勢神宮へ辿り着くそう。そこで中瀬さんから教えてもらったのが、松阪は聖地に向かう途中の宿場町であったと同時に、江戸時代から歓楽街としての一面も持ち合わせていたこと。
vacantでは、居酒屋、バー、小料理屋など、お酒を出す店が密集する一帯を案内する『愛宕純愛マップ』も作成しています。

道中、中瀬さんからこんな話も。
まちなかには、昔から続く宝石店、眼鏡店、呉服店が営業を続けていますが、松阪が豪商の町として栄えた歴史を物語っているのだそう。

伊勢街道と和歌山街道の
分岐点を示す大きな石の道標。

「豪商のまち松阪 観光交流センター」近くの「豪商ポケットパーク」では、見覚えのあるライオン像を見つけました。東京でよく利用している日本橋や銀座にある百貨店「三越」の正面玄関前に設置されているのと同じ像です。
松阪は、現在の三越伊勢丹の始祖となる豪商・三井家発祥の地。そんな縁から、もともとは三井家の屋敷の一部だった広場に、三越百貨店のシンボルであるライオン像が寄贈されました。背にまたがると願いが叶うと伝えられていることから、ツアー参加者もみんな、ここで記念撮影を楽しんでいるそうです。

2015年に、三越伊勢丹ホールディングスから
松阪市に寄贈されたそう。

古い建物や看板が残る松阪のまち並みは、映画の中に迷い込んだような風情ある風景。中瀬さんは道中、こんなことも教えてくれました。
「松坂城を築いた武将・蒲生氏郷(がもう うじさと)は、まちづくりをおこなうとき、敵が攻め込みにくいように、わざと道をノコギリの歯のようにギザギザにしているんですよ」。そう聞けば屈折した道も、歩くのがなおのこと楽しくなります。



あえてギザギザにつくたられた道。



「本居宣長宅跡」では、松阪の偉人・本居宣長の話を。宣長といえば歴史の教科書には、『古事記伝』を記した国学者として記述されています。中瀬さんの解説から、商家に生まれながら商人としての才はなく落ちこぼれとしての一面があったこと、母親に心配されるほど大酒飲みだったことなど、人間らしいエピソードを知り、ぐっと親近感が沸きました。

本居宣長が12歳から72歳まで暮らした
「本居宣長宅跡」。旧宅そのものは
松坂城跡に移築されている。

ミニツアーの最後は、本居宣長旧居が移築されている「松坂城跡」へ。蒲生氏郷が築城した松坂城は現存していませんが、豪壮な石垣が残されています。築城当時は「野面積み」、修復時に積みなおされた部分は「打込みハギ」や「算木積み」という工法が用いられ、全国から石垣ファンが訪れるのだとか。これもまた一種の偏愛。実際に歩いてみて松阪は、偏愛という感覚が育まれるまちだと感じました。

1588年に蒲生氏郷が築いた松坂城跡。
豪壮な石垣を見るために全国から
やってくる人も多い。

MAP

松阪市街地
三重県松阪市
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