甲斐みのりわたしのまちのたからもの

中部地域のさまざまなまちを文筆家・甲斐みのりさんが訪ねます

ビルを見守り続け
地域から愛されてきた老舗
水上ビル
(愛知県豊橋市)
(2/4)

March 13. 2023(Mon.)

ー前回の記事はこちら
新旧が交差する水路の上の商店街 水上ビル(愛知県豊橋市)(1/4)

1960年代から歴史を重ねる豊橋駅前の「水上ビル」。 ビルの1階に連なる商店街が活気に満ち溢れた高度成長期から60年近く、まちを見守り続けてきた老舗を訪ねました。 そこでは、豊橋ならではの文化を守る店主の地元愛に出会うことができました。

歴史を重ねた老舗の数々

豊橋駅前からおよそ800メートル続く水上ビルは、約60年前に、アーケード商店街の役割を担って誕生しました。1階が店舗で、2・3階は住居という縦割りで区切られ、ビルは商売を行う人々の生活の場としても発展。当初は県内外から人が押し寄せ、大変な賑わいを見せていたそう。ところが時代は車社会に変化を遂げ、駅併設の商業施設や郊外のショッピングモールに客足を奪われるようになると、水上ビルの商店街は少しずつ活気を失っていきました。それでも地域に根付きながら商売を続けてきた老舗が今も点在しています。

昔ながらの個人商店と新たな店が
自然な形で共存している。

名物夫婦が営む水上ビルの胃袋
「伊勢路 本店」

1969年から水上ビルでお好み焼き屋を営む「伊勢路」。店名が表すように三重県出身の“マスター"が大阪や東京で修行を行い、妻の故郷・豊橋市で店を開きました。
お好み焼き屋ながらお客さまたちからマスターと親しまれている、蝶ネクタイ姿の店主。どうしてその呼び名とスタイルが定着したのか尋ねたところ、なるほどという答えが。
「この店ができたとき、豊橋ではお好み焼きのことを『ごっつぉう焼き(ごちそう焼き)』と呼んでいました。安価な食べ物という意味でね。料理をする自分が白いシャツに蝶ネクタイを付けることでイメージを変えようと思って。その姿にみんなからマスターと呼ばれるようになったの」とのこと。以来、明るくて面倒見のいマスター夫婦の人柄と、本場の味を楽しめることから、豊橋でお好み焼きといえば伊勢路と称されるまでに。
創業から50年経った今も、お客さまはひっきりなし。水上ビルで働く人をはじめ、豊橋市民の胃袋を満たしてきました。マスターの定位置である鉄板前は特等席。水上ビルの歩みから、豊橋の移り変わりまで、話を聞きながらお好み焼きができあがるのを待ちました。


伊勢路 本店
豊橋市駅前大通1-114
TEL/0532-53-7012

年に一度、福祉施設の子どもたちにお好み焼きや
焼きそばを振る舞う活動を続けてきたマスター。
夫婦揃って優しくて頼もしいところも、
地元の人たちから愛される理由。
人気の「ぶた入モダン焼」 を注文。
オリジナルブレンドのソースも自慢の味。

手筒花火の発祥地の花火専門店
「天野商店」

豊橋市は、江戸時代から歴史がある手筒花火の発祥地。そのため、市民にも花火文化が根付いてきました。 水上ビルの東側にある「天野商店」は、花火のまち豊橋らしい花火の専門問屋。一年中、さまざなな種類の花火を販売していて、1本から小売も対応していただけます。
3代目・天野弘章さんとお話をしたところ、40歳代の私と同世代。水上ビルで生まれ育ち、しばらく地元を離れていたものの、数年前に豊橋に戻り家業を継いだそう。隣近所はみな顔見知り。同世代の子どもたちも多く、天野商店で扱う花火で遊んだ思い出を伺うことができました。
現在、新しいお店が入ったり、朝市が開催されるようになって、まちの変化を感じているそうです。以前のような家族連れや市外からやってきてまち歩きを楽しむ人、ノスタルジックな風景に魅了されて写真撮影する人など、新たな客層が増え始めています。このことが、何十年も昔から水上ビルで商いを続ける店主のみなさんにとって、励みになっているのだとおっしゃっていました。

天野商店
https://www.amano-hanabi.com/

フルーツの香りがするという花火や職人手作りの線香花火。

MAP

水上ビル
愛知県豊橋市駅前大通
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