
中部地域のさまざまなまちを文筆家・甲斐みのりさんが訪ねます
歴史と文を物語る
桑名の名所へ
旧東海道と「桑名かき氷街道」(三重県桑名市)
September 04. 2025(Thu.)
ー前回までの記事はこちら
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歴史深い宿場町がかき氷のホットスポットに 旧東海道と「桑名かき氷街道」(三重県桑名市)
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見た目も味も抜群のご当地かき氷を味わう 旧東海道と「桑名かき氷街道」(三重県桑名市)
かつては東海道五十三次の42番目の宿場町・桑名宿として栄えた三重県桑名市。現在の名古屋市熱田区に位置した宮宿と東海道で唯一、海路で結ばれ、行き交う人々で賑わった歴史のあるまちです。
そして近年、夏季になると「桑名かき氷街道」の開催で、多くの人が訪れることでも注目を集めています。
今回は、「桑名かき氷街道」の発起人で、桑名で生まれ育った林 雅也さんの紹介で、まちの名所を訪ねました。


「七里の渡跡」
お目当てのかき氷を堪能した後は、こちらも楽しみにしていたまち歩き。旧東海道沿いの名所やおすすめの店を巡ります。
今の名古屋市熱田区と海路で結ばれていた桑名宿。その距離が七里(約28km)であったことから呼ばれた船着き場が「七里の渡し」です。象徴的な大鳥居は、ここから伊勢路に入ることから「伊勢の国一の鳥居」と称され、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられています。現在も桑名の観光名所として知られていますが、江戸時代当時、東海道の中でも屈指の賑わいだったそう。
林さんも小さな頃から慣れ親しんだ場所で、近辺の川で釣りなどを楽しんでいたそうです。春の桜の時期は辺り一面桜が咲き誇り、九華公園(桑名城跡地)まで花見客が行き交うのだと、話してくださいました。
堤防を登ると、揖斐川と長良川が重なるのびやかな風景を見ることができて、心までゆったりとした気持ちに満たされます。
七里の渡跡
https://www.city.kuwana.lg.jp/kanko/miru/kankospot/kanko009.html

鳥居が、20年に1度この場所に運ばれてくる。

ビル群まで見晴らすことができる。
「六華苑」
次に訪れたのは「六華苑」です。ここは個人的な思い出の場所でもあり、今回、足を運ぶことを心待ちにしていました。
今から15〜16年前、お伊勢参りの途中に、初めて桑名市を訪ねました。当時から名建築が好きだった私は、「鹿鳴館」を手がけ、「日本近代建築の父」と呼ばれたイギリス人建築家のジョサイア・コンドルが設計した六華苑をぜひ見学したかったのです。
当時は今のようにスマホもデジカメも持ち歩いていなかったので、ぼんやりと古い外国の童話に登場するような4層の塔屋とサンルームからの庭園の眺めだけが頭の中に残っていたのですが、今回、改めてゆっくりと訪れて、石畳の先に現れる洋館の記憶と鮮やかなブルーの色彩が重なり合いました。

左手の和館がつながっているのがよく分かる。
1911年から建設が始まり、2年後の1913年に竣工したという六華苑。山林王と呼ばれた三重県の実業家・2代諸戸清六の邸宅として建てられました。
1万8,000㎡の敷地に、洋館・和館・蔵などの建造物と池泉回遊式庭園で構成されており、4層の塔屋を持つ洋館がジョサイア・コンドルの設計です。
明治〜大正時代築の建物で、ゆったりとした大きさの洋館と和館がつながっているのは珍しく、諸戸家の財力や進歩的なセンスを伺うことができます。家族の生活は主に和館で、客人をもてなすのに洋館が使用されていたそうです。
印象的な4層塔屋は、設計当初は3層の予定だったようですが、揖斐川・長良川への眺望が足りないため、清六の強い希望で急遽4層に変更。清六は、さぞや心地よく目の前に広がる美しい風景を眺めていたことでしょう。
各部屋に暖炉があり、トイレは当初から洋式で水洗、タイルもモダン。また、電話室があるなど、当時最先端の住居。階段や暖炉と館内のいろいろなところに、ハートをモチーフにしたデザインがちりばめられ、ジョサイア・コンドルの遊び心が垣間見られます。
初めて訪れた時も、映画のロケ地に使用されたと聞いていましたが、その後もNHK大河ドラマのロケ場所などに選ばれたそうです。時を経た古い建物ですが、庭園側の部屋は光が降り注ぎ、心地よい空間。明治〜昭和初期の優雅な時代を舞台にした物語の登場人物になったような心地で館内を楽しみました。
六華苑
https://www.rokkaen.com/


サンルーム。コンドルのこだわりが現れた場所。


ハートの模様の装飾がほどこされている。


庭園がよく見えるこの部屋でくつろぐ人も多い。


その家族、来客が畳敷を歩き、使用人が板敷きを
通っていたそう。