
中部地域のさまざまなまちを文筆家・甲斐みのりさんが訪ねます
本と旅人が出会う、
伊賀の新しい名建築
「SAKAKURA BASE」へ
(三重県伊賀市)
September 01. 2026(Tue.)
三重県伊賀市で、今私が最も気になっている場所が「旧上野市庁舎 SAKAKURA BASE」です。
世界的建築家ル・コルビュジエに師事し、日本の近代建築を代表する建築家・坂倉準三氏が設計した名建築。行政機関としての役目を終え、2025年7月から図書館とホテル、観光交流の拠点を備えた複合施設「SAKAKURA BASE」として新たな歩みを始めました。
その再生を手がけた「MARU。architecture」の高野洋平さんと森田祥子さんに、プロジェクトの背景や建物の魅力をお聞きしました。
MARU。architecture
https://maruarchi.com/


未来へとつなぐ
まちの名建築
1964年に建てられた旧上野市庁舎は、日本の近代建築を代表する建築家・坂倉準三氏が設計したモダニズム建築です。坂倉氏は、「神奈川県立近代美術館」(現・鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム)や「東京日仏学院」などを手がけ、日本の建築史に大きな足跡を残しました。
当時の上野市(現・伊賀市)の市長は、その仕事ぶりに感銘を受け、坂倉氏に都市計画を依頼。旧上野市庁舎をはじめ、坂倉氏の設計による建築が点在していました。しかし、そのうちいくつかは時代の流れとともに姿を消し、現存する建物はわずかとなりました。
旧上野市庁舎も2019年に新庁舎へ行政機能が移ったあと、その活用方法について議論が重ねられました。そうして誕生したのが、図書館・ホテル・観光交流機能を備えた複合施設「SAKAKURA BASE」です。施設名に坂倉氏の名を冠しているのは、この建築を未来へ受け継ぐという意思の表れでもあります。
私は以前から伊賀市を何度か訪れていましたが、旧上野市庁舎が図書館とホテルへ生まれ変わったと知って以来、再訪したい場所の筆頭になっていました。図書館が宿泊者の書斎のような役割も果たすと聞けば、本好きとして期待はふくらむばかりです。ホテル「泊船 HAKUSEN」という名前も印象的でした。かつて伊賀市は琵琶湖の底だったという伝承と図書館を「言葉の湖」に見立てた発想から名付けられたそうです。


水平ラインを強調した低層の造りは、市民とともに
あるようにという表れ。
今回ご案内くださったのは、この再生設計を手がけた建築設計事務所「MARU。architecture(マル・アーキテクチャ)」の高野洋平さんと森田祥子さん。名古屋市の中川運河堀止で2026年6月に新しく開業し話題の複合施設「NAKAGAWA CANAL DOORS」の全体設計を担当されたのもお二人です。
「旧上野市庁舎はモダニズム建築の巨匠の作品なので、最初はとても緊張しました。でも坂倉建築研究所へご挨拶に伺うと、『60年以上前の建築が残ることがうれしいので、自由にやってください』と言っていただいたんです。建築史の先生方からも『保存だけでなく、新しいデザインを加え、更新していくことも大切』という言葉をいただき、大きな励みになりました」と森田さん。
また高野さんは、建築全体の考え方について「坂倉さんは、師匠のル・コルビュジエが提唱したピロティ構造を取り入れ、建築をまちへ開くことを大切にしていました。だからSAKAKURA BASEも足元は図書館としてまちへ開き、上部のホテルは中庭を設けることで宿泊者に開く構成にしています。まちや地形と連続する建築を意識しました」と話してくださいました。
さらに森田さんは、この施設が伊賀にもたらした変化について教えてくださいました。
「図書館ができたことで、市民が日常的に通える場所が生まれました。一方で旅行者は、このホテルを拠点に、まちを歩き、おいしいものを食べ、おみやげを探す。伊賀市が単なる通過点ではなく、宿泊して長時間滞在する目的地になりました」


共同主宰者・高野洋平さん(左)と森田祥子さん(右)。
利用者が思い思いに過ごせる
公園のような図書館
SAKAKURA BASEの1階にある伊賀市中央図書館は、市庁舎だった頃、市民がさまざまな手続きを行う窓口が並んでいた場所です。その空間が、今では本を読み、思い思いの時間を過ごす場所へと生まれ変わっています。
坂倉氏は「人間のための建築」との信念を掲げていました。人が心地よく過ごせること、光や風、自然を感じられることを何よりも大切にした建築です。その考えを受け継ぎながら、MARU。architectureのお二人が目指したのは、公園のように誰もが自由に過ごすことができる図書館でした。
図書館へ再生した1階南側の空間は、もともと天井が高く、後から設置されたダクトがむき出しになっていたため、どこか暗い印象だったそうです。そこで照明や空調を整え、天井全体を明るくすっきりと仕上げるとともに、将来設備を更新しやすい構造へと見直しました。梁の間に一定の間隔で吊るされた幕が設備をやわらかく包み込み、空間全体に穏やかな表情を添えています。床の一部をかさ上げしているのも、新たな設備を無理なく納めるための工夫だと教えていただきました。
「設備だけでなく、本棚の置き方にも気を配っています。風の流れを計算しながら有機的に配置しました。また、ぎっしり本を並べるより、人が居心地よく過ごせる場所を増やしたいと思いました。これから何十年も使われる建物ですから、すべてを固定してしまうと更新が難しくなります。硬いところと柔らかいところ、その両方があることが大切。本棚も、増えたり減ったり、自由に動かせるように考えています」(森田さん)
配置されているのがよく分かる。


設備機能が視界に入らず、心地よくいられる。
館内を歩いていると、場所によって光の入り方も風の流れも少しずつ異なります。それは意図して均一な空間をつくらなかったからだと高野さん。
「図書館には、もともとの地形を生かしたスキップフロアの中2階があります。公園にもいろいろな居場所があるように、ここでもそれぞれが好きな場所を見つけられるよう、あえて均一な環境にはしていません」
南側の大きなスチールサッシと板ガラスは、伊賀市の文化財にも指定されているため、取り替えることはできません。そのため断熱性能には課題もありましたが、それを弱点ではなく魅力として捉え直し、庭や軒下から続く半屋外のような空間として生かしたそうです。
館内をひと巡りしているうちに、もし私がこの図書館に通うなら、きっと自然光がやさしく差し込む南側の窓辺を選ぶだろうと思いました。庭の植栽が夏の日差しをやわらげ、まるで縁側に腰掛けているような心地よさがあります。
この名建築は、遠くから眺めるだけのものではなく、本を読み、語らい、泊まることができる。このまちの日々の時間の中に息づいていました。


板ガラスを活かした空間。


以前は受付として使用されていた。





