高島屋の和菓子バイヤーが中部地域注目の和菓子をご紹介
伊勢・おはらい町の
老舗和菓子屋
藤屋窓月堂(ふじやそうげつどう)
・三重県伊勢市
August 21. 2024(Wed.)
代々託されてきた
のれんを守る
6代目の若社長
藤屋窓月堂は、明治初年である1868年に創業。以来、伊勢神宮の内宮門前町であるおはらい町で、伊勢神宮を参拝する“おかげ参り”の旅人や地域の人々に愛され続けています。
初代・藤波五左衛門から数えて、現当主の吉尾雄介社長は6代目。藤屋窓月堂を代々継いできた藤波家は、吉尾社長の母方の実家でした。
千葉県出身の吉尾さんは、子どもの頃から長期の休みのたびに伊勢に遊びに来ており、そのたびに当時社長だった祖父から、和菓子の道を目指さないかと言われていました。
大学3年の夏休みに、和菓子づくりを手伝うために伊勢に来るように言われアルバイトに入りますが、そこで和菓子屋になるという運命を受け入れることになります。
その頃入院していた祖父が、ベッドの上で「いつか後を継いで欲しい」と吉尾さんにはっきり言ったのだそうです。もともとお菓子が好きで百貨店の和菓子コーナーに通い詰め、職人に憧れを持っていた吉尾さん。
「祖父に言われて、迷いなく、この世界に入ることを決めました」
そこからは、祖父の弟である5代目社長とともに藤屋窓月堂の暖簾を守り、現在は社長として、伊勢・おはらい町の和菓子屋を継ぐ意味を考えつつ、古き良きものと、新しい未来を見つめながら、日々お菓子と向き合い続けています。
【店舗おすすめ】
「利休饅頭」
明治の初めに大神宮茶会が開かれた際、千家の宗匠好みの饅頭をと初代が考案したのが、「利休饅頭」でした。うずら豆のこしあんをシンプルな味わいの生地で包んで蒸し饅頭に仕立てたのです。
宗匠がいたくこの饅頭を気に入り、茶の湯の祖である“利休”の名を商品名としてつけたというエピソードが伝わっています。
白い饅頭がうずら豆のこしあん、ピンク色の方は小豆のこしあんです。
うずら豆のこしあんは、全国的にも非常に珍しく、ゆえに藤屋窓月堂の代名詞として広く知られるようになりました。
北海道産のうずら豆の味わいを損ねないように丁寧に炊き上げてこしあんに。周りの生地は小麦粉と砂糖のみのシンプルな皮を使っています。
店舗情報
- 藤屋窓月堂(ふじやそうげつどう)
- 切妻造と石畳という趣ある町並みに、土産店や飲食店などが軒を連ねるおはらい町。その中ほどにのれんを掲げる和菓子店。店名の由来は、創業者の苗字の藤波から一字とって藤屋。俳人でもあった3代当主の俳号・窓月をそこに付け加えたものである。